ご挨拶
私どもは日本の伝統の道具「枡」を専門に製作する企業として、1950年の創業以来「枡」にこだわり、その技術と文化の伝承に努めて参りました。
日本人にとって枡が大切なもの、何か心に馴染むものとして、今も尚愛用いただけることは生産者にとって誠に幸せなことと感謝申し上げます。
はかりとして、酒器として、節分の豆まきの器として活躍している枡ですが、今後次の世代でも更に愛用される枡とするために、枡の技術と文化と心をしっかりと伝えながら、新しい枡の使い方の提案、新しい枡の開発に力を注ぎ、みなさまにとって優雅さや特別感、癒しやリラックス、ワクワク感や楽しさを与えられる存在であり続けられる枡づくりに社員一同専念して参り枡(ます)!
有限会社 大橋量器
代表取締役 大橋博行

有限会社 大橋量器
代表取締役 大橋博行
会社概要
会社名 | 有限会社 大橋量器 |
創業 | 1950年 |
所在地 | 〒503-0908 岐阜県大垣市西外側町2丁目8番地 |
電話番号 | (0584)78-5468 |
FAX | (0584)78-7614 |
HP | カンパニーサイト: http://www.masukoubou.jp/ ECサイト: https://www.masuza.co.jp/ |
資本金 | 300万円 |
代表者 | 大橋博行 |
会社社員数 | 35名 |
事業内容 | 木製ます、計量器の製造・販売 木製食器、木の器の製造・販売 |
大垣の枡
大垣市は、「木枡」の生産において、全国の8割をつくる日本一の産地です。
枡は、本来、コメなどを量る日本古来の計量器でした。古くは1200年前、奈良・平城京からも出土しています。領主に年貢米や塩などを納める際に、あるいは、米や麦を炊くときに、大小の枡は、日本人の暮らしに欠かせない大切な道具でした。
その枡づくりが、かつて木曽ヒノキの一大集積地だった名古屋で盛んに行われていました。ところが、明治の中頃、職人の一人が奉公を終えて大垣に戻ったことから、大垣でも枡がつくられるようになりました。そして、大垣の枡づくりは、太平洋戦争で街が焼け野原となった後もたくましく復興し、次第に盛んになっていった歴史があります。
かつて市内で11社を数えた製造業者も、令和2年(2020年)現在は4社に。それでも、合わせて年間200万個を生産しています。計量器として、あるいは、イベント用の縁起のよい記念品として、木枡は新たな活躍の場を得てつくられ続けています。
現在は、海外での和食ブームも手伝って、「MASU」はエキゾチックで斬新な容器として外国市場でも大好評を博しています。海を渡り、世界にもヒノキの良さ、あられ組という伝統技法が持つデザイン性、枡の文化的背景などの価値を提供している、大垣の木枡。今後も大垣の木枡の更なる発展を我々は目指します。